前回、こういう記事を書きました。
色々な職業がある中、なぜ「教師」という道を選択したのか。
デブも振り返りながら書いていきたいと思います。
目次
実はやりたくない職業NO.1だった
えぇ~?!って感じですけど、全然教師なんて興味ありませんでした。
寧ろやりたくない職業NO.1でしたよ。
みなさんも経験あると思いますが、学生の頃に先生の文句を言ったり聞いたりしていたのではないでしょうか?
(デブは、文句を言う側。先生に対して、「〇〇君さ~」とか言うめちゃクソ生意気な生徒でした)
だから教師って、何かあれば、生徒から文句を言われ、突っ込まれ、そんな職業にわざわざ就く方がおかしいんじゃないかっていう考えだったんですよね。
「先生は嫌われる存在」
そんなイメージがあったもんで、わざわざ嫌われるなんてアホらし!絶対なりたくないわ!!って思ってたんですけど、いつの間にか、自分が一番やりたくなかった教師という道を歩んでいたんですよね(笑)
教員免許を取得するに至った経緯
大学の選択
まず、大学の選択から始まっていたのかなと思います。
デブは大学の選択の優先事項に、バスケを続けたいというのがありました。
(デブはガチンコで部活してました)
先程も言いましたが、「先生になりたいから、あの大学に行くんだ!」という気持ちは微塵もなく(笑)
- 「バスケが強いチーム(全国区のチーム)」
- 「知っている人がいる」
っていうのが大学を選択する上での条件だったんですよね。
(デブは超がつくほどの人見知りw)
で、その条件に当てはまる大学に、たまたま教員養成課程があったという。
それがなかったら教員免許は取っていなかったかもしれませんね。
だって教師になりたくなかったし(笑)
母の願い
小さい頃に母から「お母さんは学校の先生になりたかった」という話を聞いていました。
デブが大学の選択に迷っているときにも、「できれば先生になってもらいたいな~」ということも言っていました。
これが、大学を決める決定打の一つになっていたのは間違いありません。
話は変わりますが、今思えば、こういうところからアダルトチルドレン始まってるやんって感じますね(笑)
大学入学後
教員免許を取らないという選択肢もありましたが、みんなが教員免許を取っていたからという理由で、そのために必要な単位を取っていました。
(中には教員免許をとらない人もいましたけどね。)
「みんなと同じ単位取っといた方が何かと楽だし、何かしらの免許持ってた方がいいだろうし~」
っていうくそテキトウにな考えでしたね(笑)
なぜ専門が保健体育?
デブは勉強が苦手なんですよ。
数学19点のという壊滅的な点数!(→参照記事)
これは無理だ!
教員免許が取れそうなのは、これしかねぇ!
ってことで保健体育の教員免許を取得する選択をしました。
カラダを動かすことは好きだったしね。
大学卒業間際の東日本大震災
教員免許の取得に必要な単位も取り終わり、卒論も終わって、さてこれから社会人だな~なんて思っていましたが、仕事をする予定も特にありませんでした。
(よって私はニート予定w)
でも、就職等しないでバイトしながら教員採用試験に向けて勉強するか~なんて考えていたんです。
とりあえず、色々なことから解放された、今の清々しい気持ちを満喫したかったんですよね。
(傍から見れば怠け者ですわな。それは今もだけどw)
そしたらなんとですよ!
東日本大震災。
上の写真の通り、私の地元はめちゃくちゃになりました。
そんなこんなで講師に
東日本大震災で地元はもちろん家もめちゃくちゃで、バイトどころじゃねぇ!となり、急いで仕事を探し始めました。
でも、すぐに仕事が見つかる訳もなく。
(あったんだろうけど、デブが目にするものは土方系の仕事しかなくて。膝に爆弾を抱えていたデブには無理でした)
そこで、教員免許を活かすのはここしかないだろうと、すぐにジャージで面接へ(笑)
(津波で服を流され、ジャージしか生き残っていなかったw)
震災後、生徒の心身のケアの対応に追われていた教育現場だったので、すぐ連絡があり講師をすることになった訳です。
終わりに
こんな感じで中学校で講師をすることになりました。
講師時代の話も書きたいと思いますので、そちらも見ていただけると嬉しいです~
- 中学校講師をしているときの話→(現在作成中)
- 授業の話→
今の気持ち
デブはクソテキトウ人間