体調は良くなったが、何をしたらいいのかわからない。
というよりは、何をしたいのか自分で自分を理解していない感じだ。
これは今に始まったことではなく、うつ病になってから何度も経験している。
目的や目標がないわけではない。
だけど、なぜかそこに気持ちが向かないのだ。
それほど、それに対して気持ちがないんじゃないかと言われればそれまでだが。
うつ病はこれほど恐ろしい病気だ。
改めて思い知らされた。
ただ、この虚無感を理解してくれる人はいないだろう。
わかってくれる人は世の中にいるのだろうか。
経験している人はいるのだろうか。
この虚無感は、私をどん底まで一気に突き落とす。
愛犬の散歩もろくにできない馬鹿者が。
お前が愛犬とゆっくり過ごすために自分の家を持つと決めたのではないのか?
ブログで生活できるようにするのではなかったのか?
それなのに何ひとつできていないじゃないか。
体調が悪いと言ってできない理由を並べているだけではないのか?
こういう気持ちや考えが頭の中をループする。
その結果、「消えたい」と思うようになる。
「死にたい」ではなく「消えたい」なのだ。
死は亡骸とともに存在を残すが、この存在さえもないものにしたい。
自分の存在をなかったことにしたい、そんな気持ちになる。
その陰には、こんな気持ちがある。
・自分さえ生まれてこなければ
・自分の生きている意味とは?
・自分の価値とは?
これを友人や家族に話せるだろうか?
話したら何と思うだろうか?
言われたら困ることばかりだ。
だから友人や家族には話せない。
だからだんだん孤独になっていく。
孤独は怖い。
ただでさえ、家から出ない生活をしているのに、まわりから置いてけぼりになり、自分の存在を忘れ去られているかのようだ。
その中で、私は新たに一筋の光を見ることができた。
それは、新しい病院に通院できたこと。
と言っても、まだ一度しか行っていないが、私にとってはとても救われた気持ちになった。
私の担当医は女性の先生だ。
男の先生のイメージがあったから、珍しいと思った。
色々とまではいかないが、現在の状況を聞かれた。
ここまでは機械的な感じがしたが、私からある質問をしたときの返答で自然と目頭が熱くなったのだ。
「最後に何か質問はありますか?」
との問いに、私は前から気になっていたことを聞いてみた。
「カウンセリングを受けた方がいいとよく聞くのですが、受けた方がいいのでしょうか?」
その問いに対して、返ってくる言葉は簡単に、「受けた方がいい」とでも言うのだろうと勝手に自分で決めつけていた。
しかし、先生は、
「話を聞いてもらって少しでも気持ちが軽くなるようにするのは大事なことです。けど、一概にカウンセリングをした方がいいとは言えません。
話すことで、辛い過去を思い出し、体調を崩す方も大勢いらっしゃいます。
あと、私達医師は、医師になる上でカウンセリングをいう専門的なもの(専攻等)は受けてきてはいない。
けれども、ここ(病院)に来てななさんが抱えているものを話していただいて、改善に向けて協力することはできますから、次回来院されたとき、遠慮せず話していただいていいですからね」
こういうことを言ってくれた。
これはどこの病院でも言われる当たり前なことかもしれないが、私にとってはとても救われる言葉だった。
必死で泣かないようにしている自分がいた。
これから自分はどうなっていくんだろう?
そんな事を思っていたが、気持ちは不思議と前向きになっていた。
これから先、どうなるかわからないから怖いけど、目標達成のためにも頑張りたいという気持ちが強くなった。
頑張りたいな!