iroiroyuruyuruなななブログ

うつ病、摂食障害(過食)、アダルトチルドレン/「誰かの何かのヒントに」がテーマ/自分の好きな事、思うこと、うつ病について等いろいろ書いていきます

日本人はいつも「評価」に追われている

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小学生の頃から評価される環境にいる

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小学校から成績ってつくよね。通信簿っていう形で。

 

通信簿って意欲や向上心を育てるためにある訳だけども(デブはそう思っている)、進路のためだけのものになっていることが、デブはとても残念だと思っている。(人を見ないで数字だけ見ている感じがするんだよね)

 

実際、通信簿とか評定とかがその人(生徒)のデータになるから、受験先の学校としてはそこでしか個人を見ることができないってのもあるんだけど、だからこそ、現場ではもっと個人個人を尊重してほしいと思う。

 

じゃないと、大人になった時に頑張り方がわからなくなっちゃうよね~。

デブはそんな気がするんだ。

 

 

 

通信簿の事はよく覚えてないけど←、中学校のはこんな感じ(だった気がするw)

本当は、評価のところには、文章書いてあるけどね。

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※今は学校によって、2学期制のところもあれば3学期制のところもあるけど、今回は3学期制で。

 この通信簿は、運動神経が良くて勉強もある程度できる生徒をイメージして成績を付けてみた。

 

 

話は少しズレますが、みなさんの通信簿はどうでしたか?

ちなみにデブは、保健体育はだいたい「4」か「5」でした。その他の教科は、「3」が多かったかな。 たまに「2」もあったよ(笑)

 

 

 まぁでも、唯一の救いというか、なんというか。

学生は、評価が通信簿って形で見れるからいいよね。(目に見えないより、目に見え他方が安心するよね。)

 

あぁ、自分が頑張ったところこんなに評価してくれたんだ!とか自分はそんなつもりなかったけど先生はこんなところも見てくれているのか!とかね。

 

大人はいくら頑張ったって褒めてくれる人がいる訳でもないし、評価表がある訳でもないし、モチベーションの維持が大変よね。

中には褒めてくれる人ももちろんいるけど、だいたいは人それぞれって感じだよね。

できる人はできるみたいな。

 

 

個人ではなく、全体で評価される

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日本人っていつも評価に追われているよね。(まぁ、デブは外国の事はわからないけどもさ)

 

デブは、日本人って人の顔色を伺って作業しているイメージがある。

はやく仕事を仕上げればいい評価をもらえる、信用をもらえる。だからそのために頑張って仕事をする。

 

確かにそれも大事だけど、過度になっている気がするんだよな~

 

 

 

作業が遅くても自分なりに努力して頑張っているのに、そのことはなかなか評価されないのが現実。そして事実。

 

 

仕事が遅い=できないやつっていう認識。 

息苦しさを感じるよね。

 

 

 親も評価されるんだから大変だ

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 最近、残念なニュースも目にするよね。

虐待の話とか。

これに関しては、本当に子どもが可哀想で可哀想で。どんなに苦しかっただろうと心が締め付けられます。

 

でさ、こういう虐待って「親がひどい」って話になると思うんだ。

本当にその通りだと思うんだけど、結局その事件だけに目がいって根本的なところの解決になっていないよね。

 

みんな、「虐待しているなんてそんな親って信じられない!」「それは絶対にしてはいけないこと」「最低の行為」と言っているだけで終わってない?

その事件の感想っていうかさ。

 

虐待がいいことか悪いことかなんて、そんなの誰でもわかるわ!ってデブは思うんだけど、親である人がなんで虐待という選択肢になってしまったのかって考えるのも大事だと思うな。

 

デブの勝手なイメージだけど、虐待してしまう人とかって、社会的に評価されていないと感じている人かなって。

何かを抱えているというか。

 

例えば、「会社で上司にお前は仕事ができないと言われている」「収入が少ない」「無職」「離婚」とか。

これって、社会的に評価が低いというか、されていないというか。劣等感を感じる。

 

そういう解釈になりませんか?

もし自分がそうだったらそう感じませんか?

 

 

 

そして、孤独を感じませんか?

 

 

 

デブは今無職です。まわりの友達はもちろん仕事もしていて、結婚して子供がいる人もいる。

友達は子どもがいながら仕事して頑張っているのに、自分は何をしているんだろう?と考えることが良くある。

 

このとき、デブは孤独を感じました。

 

 

 

この孤独が、親である一人の人間のココロとカラダを蝕んでいったのだと思います。

 

 

こういうのでさ、良い親でいなきゃないと思ってお父さん・お母さんは追い込まれるんだよね。

今家庭の事で悩んでいる人は、常にまわりからの反応や情報にも苦しめられているんだよ。

 

この状態で子育てしてるんだから余裕がある訳ないんだ。

本当に大変だよ。

 

 

理想ではあるけど、絶対じゃない

「真面目に、諦めず、最後まで取り組まなければならない」

「いい親でいなければいけない」

「無職は恥ずかしいことだから、はやく仕事を見つけなければならない」

「デブだから痩せなければいけない」

 

 

これらは理想ではあるかもしれないけど、絶対じゃない。

真面目過ぎても息が詰まるし、

まずもっていい親ってなんだよ?って話だし、

無職だけど、なんで恥ずかしいの?じゃあ何がかっこいいの?って話だし、

太って死ぬわけじゃあるまいし。

 

 

効率がいい方法とか、見栄えがいいとかはあるし、その方がいいんだとは思う。まわりからの評価高そうだもんね!(皮肉)

でも、それがその人にあっているかなんて他人にはわからないこと。

 

 

でも、これを自分自信がちゃんとわかるまでが大変なんだよね。

自分で気づくって難しいことだから。

だから、みんな悩むんだ。

 

 

「評価」について最後に

目に見えないから余計に怖いんだよな、って思う。

 

 

一番近いものって一番見つけづらいかもしれません。

はやく見つけられる人もいれば、全然見つけられない人もいる。

 

だから、まわりからの評価でぽっかりと空いた穴を埋めようとする。

 

 

「真実はいつも一つ!」

コナンくんの名セリフ。

 

でも、一つじゃなくて、二つかもしれないし、もっとあるかもしれない。

けど、これでいいと思えるものが、自分の中に必ずあると思いますよ。

 

 

デブも、これからもっと探して見つけていきたいと思います!